陷入流沙如何自救:这套图是日本人论证:只有大日本才能救朝鲜

来源:百度文库 编辑:偶看新闻 时间:2024/04/30 15:32:09
 

  

  

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  |1910日韓併合

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  匠の技

  

  ↑1937年にソウルに開業した丁字屋デパート。

  ソウルにはこの他に、三越?平田?和信(韓国系)などの百貨店があり日本内地の流行を敏感に反映させながら競い合っていた。

  

  ↑1936年のソウル、南大門通り。

  左側が商業銀行。市電は複線になっている。

  看板の文字は真ん中がレートクレーム(化粧品の名前)、右側がキリンビール。

  

  ↑ソウルの繁華街、本町2丁目の商店街。

  東京の銀座に相当する街筋は、街灯が消える夜半まで人通りが絶えなかった。

  

  ↑平壌府営業の市内電車。

  運賃は市内一律で5銭。

  

  ↑平壌の夕暮れ。

  

  ↑新興工業都市、興南。1942年撮影。

  朝鮮窒素肥料?日本マグネシウム?朝鮮鉱業などの工場が次々に進出した。

  

  ↑世界最大級の水力発電所、水豊ダム。

  当時出力世界二位のダムで、朝鮮及び満州の電力をまかなった。

  

  ↑水豊ダム。

  発電用のドラフト?チューブの埋め込み。

  

  ↑1940年、ソウルにあった朝鮮ホテルのサンルーム。

  朝鮮を代表するホテルで、左端の女性は舞踏家?崔承喜

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  しかし、家主は、日本が帰った後、また、元のゴミ屋敷に戻してしまった。。。

  

  

  

  

  

  

  

   Seoulの韓国人

  

  朝食後に農作業が始まるが、どんな仕事でも正午には終わり、再開は決まって翌朝である。

  昼食を済ませると、男達は昼寝をするか、あるいは街頭に繰り出し、長いキセルをくわえながら

  互いの間で、あるいは通行人と話を交わしつつ夕食まで時間を過ごす。

  

  キムワンソプ(金完燮)はこう言っている

  現代韓国人が知らない日本統治以前の奴隷社会

  死亡当時、すべての朝鮮人にとって呪いの対象だった閔妃が、今になって自主独立の殉教者として

  華麗に復活した現象は、韓国人が直面しているアイデンティティーの混乱を端的に示すものだ。

  韓国人が朝鮮王朝を慕い、日本の統治を受けず朝鮮王朝が継続したなら、もっと今日の暮らしが

  良くなっていると考えるのは、当時の朝鮮の実態についてきちんと分かっていないためだ。

  特に子供と青少年は、きれいな道ときれいな家、整った身なり、上品な言葉遣いのテレビの

  歴史ドラマを観ながら、朝鮮もそれなりに立派な社会で、外勢の侵略がなかったならば、静かで

  平和な国家を保てたろうと錯覚する。

  しかし日本が来る前の朝鮮は、あまりに未開で悲惨だったという事実を知らねばならない。

  1880年代のSeoul 南大門大通り(中心街)

  

  

  上下の写真ともに、通りに面した藁葺きの建物は、商店

  1897年のSeoul 南大門大通り 城門の前は商人の店

  

  1900年のSeoul 南大門大通り

  

  Seoulの様子

  

  

  韓国人の女性たち

  

  

  

  

  Seoulの韓国人?Color補正版

  

  猫車1

  

  猫車2

  

  (上)日本統治前、(下)日本統治中

  

  お薦め参考文献 LINK

  "Korea and Her Neighbours" by Isabella Lucy Bird

  『朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期』 イザベラ?L. バード

  英国人女性旅行家 Isabella L. Bird が朝鮮を訪れたのは、1894年、62歳の時である。以後3年余、Bird は

  4度にわたり朝鮮各地を旅した。折りしも朝鮮内外には、日清戦争、東学党の反乱、閔妃暗殺等の歴史的事件が

  続発する。国際情勢に翻弄される李朝末期の不穏な政情や、開国間もない朝鮮に色濃く残る伝統的風土?民俗?

  文化等々、Bird の眼に映った朝鮮の素顔を忠実に伝える名紀行。

  「朝鮮紀行」("Korea and Her Neighbours")に書かれている李朝末期(約100年前)の朝鮮の姿は凄まじい

  貨幣制度が(ほとんど)ない。

  ソウルは世界有数の汚く悪臭のする都市。

  一般民衆の住む場所は藁葺きのあばら屋で、通りからは泥壁にしか見えない。

  道はとにかく悪い。